2011年より自身のブランド「FAGASSENT(ファガッセン)」を立ち上げ、ロンドンをベースにしたクリエイティブと井原市のアルチザンの技術を融合したコレクションを発表。現在はイタリア、フランスを中心に10カ国で展開。

「今回の受賞を契機に、井原という地域にとって自分自身の存在が財産になる、そんなデザイナーを目指したい」、青木俊樹氏は強い目で語ってくれた。青木氏の実家は井原市に本拠を構える縫製工場。長年の信頼と卓越した技術でデニム産業を牽引してきた53年目を迎える会社だ。青木氏が本格的にファッションに開眼したのはレディオヘッドやアイアンメイデンといったロックバンドミュージックとの出会い。大学卒業後はアパレル大手ワールドに就職しタケオキクチの生産管理に携わる。しかし、デザイナーやパタンナーとの親交から自身がイマジネーションするフィールドを知り、デザインを学ぶため単身渡英する。自分に影響を与えたロックバンドやミュージシャンが見た光景を確かめたい、その空気を感じて自らの可能性を広げたい。ブランドを立ち上げにいくというよりもそんな心意気の方が強かったという。ロンドン芸術大学卒業後インターンしたデニムブランドで制作を任され、生産予算やクオリティを総合的に考えて自身がスケッチしたジーンズを岡山の青木被服に発注するようになる。振り返れば既にこの時から青木氏の創作活動がスタートしていた。そして、自身が作った作品を各国の名だたるセレクトショップに持ち込み、彼らの意見をクリエイティブにフィードバックしながら現在のブランドの世界観が醸成されていく。たまたま立ち寄ったパブで、自分が履いているデニムはどこのブランドか、私も履きたいと言われたことが自信と最後の後押しとなり、2011年FAGASSENTを立ち上げる。ロンドンで完成した歪んだロックスピリッツとヨーロッパ産のエレガンスをミックスした世界観、そして、青木被服の匠の技術を融合したブランドだ。現在十カ国の有名セレクトショップで扱われ、徐々にその存在感を示しつつある。FAGASSENTはロンドンをデザインベースに日本で制作するスタイルは変えないが、ヨーロッパからアメリカ、アジア、そして日本へとまずは海外で成功させることを考えている。青木氏が目指すのは、コムデギャルソンやヨージヤマモトが1980年代初頭に巻き起こした“黒の衝撃”以降現れていない、海外で真に評価される日本人デザイナーになること。「トータルコーディネートブランドではありますが、強力な武器はやはりデニム。彼らに続くニュージェネレーションブランドとしての立ち位置を得たとき、デニム産業を支えてきた井原という地域をフックアップすることにも貢献できるはずです」。日本でもファッション感度の高い人たちから注目を集め始めたFAGASSENT。しかし、あえて選んだ厳しい道のりはまだ始まったばかりだ。