1987年生まれ岡山市出身。高校在学中に出場したボクシングのインターハイで古口ジムの会長にスカウトされ、2006年にプロデビュー。2013年OPBF東洋太平洋スーパーバンダム級王座奪取に成功し、今日本で世界に一番近い男として注目を集めている。

きっかけは「ケンカに勝ちたい」という単純な動機だった。今やボクシング界でも注目される選手となった「リーゼントボクサー」こと和氣慎吾。地元岡山では札付きのワルで通っていた彼が中学生のとき出会ったもの、それがボクシングだった。高校進学も危ぶまれていた少年は、その面白さに引き込まれ、毎日欠かさず練習に打ち込んだ。その姿勢と才能に魅了された周囲の人たちのサポートもあり、高校では全国区の選手に成長。そんな彼に最初の転機が訪れたのは高校3年生のインターハイでのこと。試合を見ていた古口ボクシングジムの古口会長からスカウトされたのをきっかけに、東京へ行きボクサーになるという決断をしたのだ。けれど待っていたのは過酷な現実だった。2006年にプロデビューを果たすも試合回数は少なく、ファイトマネーも微々たるもの。とてもボクシングだけで生活はできない。仕事をしながら、その合間をぬってトレーニングに打ち込むというハードな日々が続いた。そんな状態の中、一時はジムを移籍することやボクシングを辞めることまで考えたという。「周りの人たちとも上手くいかず、自分を取り巻く状況すべてに不満を抱えていました。そんな愚痴ばかりの自分に、『文句ばかりじゃ何も変わらない、現状をまず受け入れろ。』とある人が言ってくれた。その言葉をきっかけに自分を変えました。とにかく感謝の気持ちを伝えようと。すると驚くほど周りの環境が変わって、応援してくれる人が増えたんです。試合に対しても、逃げの気持ちが消えて前向きに臨めるようになって。その結果、2013年のタイトルマッチに勝利し、OPBF東洋太平洋チャンピオンにもなれたんだと思います。だからこのチャンピオンベルトは皆で掴んだものなんです。」プロボクサーとしても人間としても成長を続ける和氣選手は、そう振り返った。「相手を圧倒して勝つ」というスタイルを信条に、王者として4度の防衛に成功。現在最も世界に近い男と評される通り、自身も近い将来の目標として世界チャンピオン奪取を宣言している。さらに、今年7月には4度目の防衛戦を岡山で開催。本来であれば東京開催の方が、興行的にもメリットが大きい中、本人たっての希望ということで自らも挨拶回りやマネジメントを手掛けるなど、運営サイドとしても尽力。試合は2千人もの観客が詰めかけ大盛況で幕を閉じた。「岡山で世界戦を」を合い言葉に、岡山のみならず全国のボクシング界を盛り上げるプロボクサー。今回オカヤマアワード大賞を受賞した和氣選手の世界戦で岡山が熱狂する日は、そう遠くないだろう。